「ずく」と「カンコー」

あまりに田んぼの乾きが悪いので、9畝(約900平米)の田んぼに5cmの厚さで籾殻を撒きました。45立米です。軽トラに1回2立米積んで20回以上。11月一ヶ月間は時間があけば籾殻を運んでいました。効果があるかは分かりませんが、「何もしないよりは何かがある」と、仕事の合間に運びました。かなりエライ作業でしたがやり遂げられたのは、ある学びがあったからです。

僕は川崎から恵那に来て、生きていく上で大事なことを知りました。
それはこの地域の言葉で言う「ずく(尽く)」と「カンコー(勘考)」です。

「ずく(尽く)」とは粘り強さとか、辛抱とか、我慢強さと思われます。「ずくがないでアカンな」「ダラダラしとらんとずくを出せ」「あいつはずくがあるでエエな」などと使います。
「ずく」がなければ何もできないし、「ずく」さえあれば何でもやり遂げられます。
調べてみたら、「ずく」という言葉は熊本から青森まで使われているようで、農業人口の割合の多い地域で使われるようです。確かに商売や狩猟は発想やひらめきが大事で、農業では一にも二にも「ずく」なのかもしれません。
「〇〇ずくし」「〇〇ずくめ」「力ずく」「尽くす」そんな言葉が語源と関係ありそうです。

「カンコー(勘考)」とは工夫みたいなことで使われています。「こっからはカンコーせなアカンぞ」「おお、エエカンコーしとるな」などと使います。
名古屋で働いていた友達が「カンコー(勘考)」という言葉はよく聞いたと言っていました。「カンコーしてちょ!」と言ったら「値下げしてくれ」という意味なのだそうで。「カンコー=勉強」と取っていたそうです。頭を使うという意味では同じかもしれませんが、商売の町では値下げを意味し、農村では工夫を意味するとは、なかなか興味深い言葉です。

田舎で暮らすということはとてもシンプルで、自分の頭と身体の9割を「絶対にやり遂げる!」という「ずく」で満たして、後の1割で「どうやったらうまくできるか」などの「カンコー」で補うのです。この2つさえあれば充分です。というか、これ以外は何もいらないかもしれません。やり遂げた後、うまく行くかどうかは、神様や自然に委ねるしかありません。

今の暮らしにはパワーゲームもマネーゲームもありません。心配事やストレスも、そんなこと考える暇もありません。無限にある百姓仕事や山仕事、庭仕事に一日一日取り組むだけです。

籾殻を撒いた後。
田んぼの周囲に溝を切りましたが、まだ乾いていません。
水はけが悪いのです。溝にしばった竹を入れようと思います。

別の角度から。我ながらよく頑張った。

その後、トラクターで土に混ぜ込みました。