蘇原神社の秘密?


10月8日に恵那市笠置町毛呂窪の産土神、蘇原神社の秋祭りがありました。今回はお祭りの話ではなく、「蘇原神社の秘密?」についてです。

 蘇原神社の歴史は室町時代からと言われていますが、定かではありません。1612年江戸時代の初期に、すぐ前の丸山から現在の地に移されました。我が組は今年はお祭りの当番に当たっており、待ち時間があったので、その丸山に何か神社跡があるか見に行きました。結果は何もなかったのですが、面白い発見がありました。
丸山から蘇原神社を見ると、参道から神社の後ろ一直線上に、尖ったピラミッド状の山がそびえていました。普段は鎮守の森に隠れて気付かなかったのですが、この丸山に来ることで発見できたのです。どうやら元来、神社の後ろのとんがり山が原始の信仰の対象、いわゆる山宮で、山に登るのがしんどいので、下に里宮(現在の蘇原神社)を作ったのだと思われます。そしていつの日か山宮の存在は人々の記憶から失われてしまう、というパターンは全国の神社でよくあることのようです。
左下から右上に向かって参道→神社→鎮守の森→とんがり山





反対から、右下から参道→神社→とんがり山





















さてこの参道から尖がり山への一直線のラインですが、コンパスで測ってみると、また出た!120°・300°ライン!つまり冬至の日の出・夏至の日の入りの方向なのです。つまり現在の蘇原神社は、前方の円山から冬至の朝日が昇り、夏至に後方のとんがり山の先っぽに夕日が沈むという特別な場所だったのです。現在の蘇原神社の場所を決めたのは、ここが聖なる場所だったからなのです。
参道は一直線に冬至の日の出・夏至の日の入りライン。













冬至近辺の日の出。
丸山から二つの鳥居を通って参道を一直線に朝日が届きます。




このとんがり山は、毛呂窪の里の水源であり、あの山があるからこそ飲み水や農業用水が生まれるということを昔の人は知っていたのでしょう。その上あの形です。古来、人々はピラミッド型の山や石に対する信仰心のようなものがあったようです。それは火山の噴火や男性器のような生命の誕生を象徴する形だったのか?神を呼ぶ依り代のようなものであったのか?太陽や星の方角を知る天体観測器の役割であったのか?
笠置山全景。右のとんがりが雨乞い垂れ。その右下に蘇原神社がある。










この笠置山自体はこちら南側から見たら「寝弘法」と呼ばれてデコボコですが、北側から見ると見事なピラミッド型をしています。それが笠置山の名の由来なのです。山頂には笠置神社があり、そこから北へ120°・300°の方向に、中野方町の笠置神社下社があります。そちらも山宮・里宮の関係です。つまり、冬至の朝、笠置神社下社から山頂に「ダイヤモンド笠置」が見える方向なのです。ちなみにこの二つの笠置神社の間には、縄文時代に作られたと思われる大きな石のピラミッドが三つ並んでいます。

この笠置山の東南側と北西側の二つの神社に見られる方角は、単なる偶然とは思えません。季節の変わり目であり、一年中で最も日の長い日と最も日の短い日、最も高い太陽と最も低い太陽、「夏至と冬至」を太陽神を崇める日本人は、これほどまでに大切にしてきたのですね。
この発見を地元の人に話したら、「あのとんがりは『雨乞い垂れ』と呼ばれとるよ」とのことでした。ゾクッと身震いがしました。だいたい笠置山全体が雨乞いの山だとは聞いていましたけど、嶺の名前に「雨乞い」とそのまま付いているとは。あの山に雨が降って、それが森を潤し、川となって、或いは地下水となって田畑や人々の喉を潤す。場合によってはあのとんがり目がけて雷が落ちることもよくあったでしょう。笠置山は落雷の名所であり、夏は夕立がたびたび起こります。別の人は「あの山は秋葉様や」と言います。秋葉神社と言えば「火除けの神様」です。落雷による山火事を恐れてか、雨が降ることで火事を防ぐためか。近くには「天神ヶ根」という峰があり、その下には菅原神社があります。菅原道真・天神様。つまり落雷を恐れての神社でしょう
そんな雨・雷・太陽をつかさどるあのピラミッドこそが、毛呂窪地域の産土神なので。五穀豊穣の神様である蘇原神社の大本なので






笠置町毛呂窪地域から笠置山を見上げると、どんな方向からもあのとんがり山が眺められます。昔の人たちもこの山を見上げて畏怖の念を抱いて祈りを捧げていたのでしょうか?

あのとんがり山の頂上には何があるのでしょうか?後日改めて行ってみたくなりました。この山の中腹にある自宅から、車で数分のところにその場所はあります。「一望千金展望台」から少し登ったところに車を停め、10分ほど歩くと、とんがり山の頂に着きました
雨乞い垂れ山頂の祠「秋葉神社」と書いてある











そこにはやはり祠がありました。そう古くはないけど、しばらく忘れ去られている様子でした。周囲にはおびただしい数の巨石・奇石の数々がある、神々しい場所です。しかし人工による古代の磐座(イワクラ)かどうかは分かりませんでした。数が多すぎるし、この山はここ以外でもこんな巨石がゴロゴロしているのです
祠には「秋葉神社」という表記がありました。しかしその向きが残念でした。東の方向を向いているのです120°の方向、つまり蘇原神社の方向ではないのです。・・・予測と違う。ガッカリだ。
最後の最後で疑問がすっきりせず残念でした。「蘇原神社の秘密」はそう簡単には解けないみたいです。

さて、皆さんの氏神様はどちらを向いていますか?伊勢神宮?富士山の方を向いていますか?120°や300°を向いていませんか?後ろに山や大きな石を抱いていませんか?

ストーンサークルの跡?
山頂を囲む巨石の数々



















蘇原神社例大祭2017

毎年10月第1(もしくは2)日曜日に行われる秋の豊作を祝うお祭り、今年も秋空の下、楽しく行われました。
おかめ、ひょっとこのお面を被った踊り手が、子どもたちを脅していきます。
昔は、田んぼの中まで本気で追いかけて、脅かしたそうです。
笹踊りの入場に始まり、中学生男子による笠踊り、成人独身男性による剣の舞と続きます。
舞り手・笛太鼓の奏者が、夏からの練習の成果を披露してくれました。






















田んぼ終了!2017

疎らな田んぼながら、なんとか収穫が出来ました。
予想通り、昨年の半分の量でしたが、新米の味わいは格別でした。

9月10、11日稲刈り、はざ干し
























9月26日脱穀 ハーベスターという機械で、干した稲束から籾を取ります。













9月27日籾摺り 籾摺りをして玄米にします。








田舎生活とバランス感覚

田舎の人は、何でも自分で作ります。
お米や野菜はもちろん、季節ごとの様々な保存食、味噌・梅干し・漬け物・ジャム・干し芋・干し柿・・・昔はお酒まで・・・。
食べ物だけじゃなくて、道を作ったり、石垣を組んで田んぼを作ったり、ちょっとした納屋くらいなら自分で作るし、家の修理とかもやってしまいます。地元の方と接すると、その生活の知恵というか、生きる術をみんなが持っていて、すごいなって思います。
ほんの数十年前、この辺りでは、各戸に牛やヤギや鶏がいて、自給自足の生活が当たり前だったと聞きます。

自然と向き合いながら、自分の生活を自分の手で作り上げていく・・・。自然の恵みによって生かされていること、でも天候に左右されダメージを受けることもあること、頑張らなきゃいけないけど、頑張ってもどうしようもないこともあるってこと、そういうことがいつも実感としてそこにあって、多くのいのちを見つめながら、たんたんと生きている、朝起きて手を合わせてから、一日が始まる・・・。家族や地域や自然との繋がりを強く感じていたのではないかと想像できます。
そんな確固とした生活、生き方のなかで紡がれた里山の文化は、共生の文化であり、持続可能な生活の知恵がたくさんあります。
効率や経済を優先させてきたことが、多くの負を残していることを考えると、人の幸せとは何かを改めて考えさせられます。

田舎に暮らしてはや2年。何でもお金で処理できた生活から離れて、グルメだ、旅行だ、ブランドだ、そういうことへの関心は薄くなっています。
自分で作った米や味噌や、近所からの美味しい野菜や、美味しい空気や、綺麗な星空や、風や、水や、雷や、草刈りや、土木作業や、そんなことに意識を費やす毎日を心地よく感じています。
とはいえ、多くの情報が入って来る毎日で、インターネットも便利だし、SNSもやるし、テレビも見るし・・・・どこにいても、結局日々の取捨選択の中で、自分自身が試されています。自分にとっての丁度良いバランスってどこなんだろうと、悩みつつの田舎生活です。

秋の味覚「いくち」

きのこ狩りをしていた地元の方から、採ったばかりの「いくち」を分けていただきました。
本名は、いくち科「あみたけ」、この地方では「いくち」と呼ばれています。
表面がぬるっとしていて、味はなめこに似てます。









火を通すと紫に変化します。
今日はおろしポン酢でいただきました。










昔はもっとたくさんの種類のキノコが採れたそうです。もちろん、マツタケも・・・。
山の手入れがされなくなって、キノコも少なくなったそうです。残念です。

あとひと月で稲刈り

お盆を過ぎると、こちらでは朝晩が一気に涼しくなります。
昼間はまだまだ暑いですが、それまでのようなムシムシする感じがなくなっています。
そうなると、アキアカネが空を舞い、稲穂がこうべを垂れてきて、稲刈りの時期が近付いてきたことを知らせてくれます。
笠置町のお米が美味しいのは、笠置山の南斜面にあるため日当たりが良く、昼夜の寒暖の差が大きく、笠置山からの豊富な美しい水があるからです。
また、山に囲まれた棚田は平地の田んぼと違い、様々な動物や鳥や虫や微生物が生息しており、何か一つの害虫や病気が大発生することがありません。
生産性という意味では効率は良くないかもしれませんが、本当においしい米はこういう棚田で作られるのです。
都会から移住してきた私たちも、この地で田んぼを借りて米作りに挑戦してみましたが、本当においしいお米が穫れました。都会の親戚や友人に食べてもらいましたが、みな「こんなにおいしいお米は食べたことがない」と口を揃えて言います。
今年も9月中にはあちこちで稲刈りが行われ、新米が食卓に上がります。
秋はもうすぐそこまで来ています。

古民家と田んぼは良く似合う
美しい棚田の風景。天気が良いと恵那山が見えます。

夏の空と秋の空が入り交じっています。

雨乞いの山であった笠置山からの豊富な清流が田んぼを潤す。

山の整備・道作り

自治会の活動の中に、都会には無い活動の一つに「山の整備」や「道作り」があります。
檜林の下草刈りや、林道まわりの枝払い、U字溝の清掃などを行います。
ほとんどの人が肩掛け式草刈り機を持っていて、自分たちで草刈りをします。
男性でチェンソーを持っている人も結構いて、林業の人みたいに木を倒したりもできます。
今回は松枯れ病にかかった赤松を20本ほど、自治会の皆さんと倒しました。
枯れ松は風雨の強い日などに道路に倒れて危ないので、倒れる前に倒してしまいます。

ド迫力の映像をお楽しみください。