「ヘブンス園原スキー場」に行ったよ!

25年ぶりのスキー場。川崎にいた若い頃によくスキー場に行っていましたが、大渋滞の中を片道4〜5時間かけていました。
今日は恵那に移住してはじめて、最寄りの「ヘブンス園原スキー場」に行きましたが、ドアツードアでなんと45分で到着。笠置の奥山の我が家からでそんなに早いんだから、恵那の町場からならもっと早い。もちろん渋滞ゼロ。めちゃ気軽。

よく田舎は不便と言うけれど、ここ恵那市笠置町に住んでる限り、不便と感じたことがありません。スーパーに買い物に行くのに渋滞することはないし、駐車場でお金を取られることもありません。

林内をスノーシューでお散歩。雪が多いからか寒すぎるからか、恵那に比べて植物の種類が全然少ない。動物の足跡の種類も少ない。恵那は多様な生物が生息しているのだ。生物たちにとっても住み心地が良いのかも。

日本晴れ!




氷の上にも立てる!

今朝の恵那市笠置町の気温、マイナス4度。
貯水池に張った氷の上に立ってま〜す。
でも、怖くて引きつった笑いの図(^^)
冷や汗も氷る。

名駅ゲートタワーで考えた

用事があって名鉄名古屋駅、ゲートタワー28階にいます。
窓からの景色がスゴイ。建物や車や人がひしめき合っている。
2年半前まで、自分が平気でこんな大都会に住んでいたことが、今ではもう信じられない。とても人が住む場所には思えない。
ここでもう一度、疲弊しながら暮らせと言われたら、いくら積まれてもお断りだ。
遠くに見える山の向こうに恵那笠置山がある。


帰って来れば、こちらは現在住んでいる恵那市笠置町の里山の風景。
名古屋から車でも電車でも一時間ほどでこの風景がある。
綺麗に整備された棚田の向こうには雪をかぶった恵那山が見える。
空気が全然違う。水が全然違う。
経済効率という面では名古屋の方が良いのだろうけど、住みやすさの面ではこちらの方が圧倒的だ。
この風景が見慣れてしまった今日この頃だけど、たまに都会に行くとここの良さを再認識させられる。

いのししの捕獲

オジイが狩猟免許を取って、はや1年近く・・・。
なかなか猪のお肉にありつけない日々でしたが、
隣町の中野方にある猪の解体施設で販売していることを知ったオジイが猪肉を購入してきました。
ぼたん鍋にとその準備をしている最中、「近所の罠にイノシシが入ったで、見にくるか?」と電話。一度は見ておかないとな、と思いソワソワ出かけてみました。
↓こんな罠の中に、思ったより小さいイノシシが入っていました。














暴れて口のあたりに怪我をしてる様子を見ると切ない気持ちになりました。

そんな感傷的な気分とは関係なく、手際よく、電気槍で仕留め、心臓のあたりを切って血抜きをしていく猟友会の面々。血抜きはなるべく早くした方が肉が美味しいとのこと。
そんな会話の中、10分足らずで、軽トラックに載せられて、解体所へ向かってしまいました。

さっきまで暴れていた猪がただの物になってしまった瞬間を目の当たりにして
動揺するかと思いきや、意外と平気だった自分にびっくりでした。

猪のお肉をいただいたり、猪の荒らした田んぼを見たり、ドライブの最中に猪に出くわしたり、こうしたら美味しいだの、あそこで猪が獲れただの、そんな生活や会話のなかでいつの間にか「田舎化」している私がいるんだと思います。

そういえば、暗い道を走るのも、山の家で一人でいることも怖かったのに、今では全然平気になったしね。


狩猟~解体~ジビエまで

 イノシシによる被害は農村での生活にとって、とても大きな問題です。

 かつては山奥にしかいなかった動物たちが、近年では里にエサを求めて下りてきます。そして田んぼや畑を荒らしてしまいます。

 原因は、ヒノキの植林をしすぎたせいかもしれません。広葉樹の森は多くの食べ物を生産し、それによって多くの動物にとって豊富なエサがあります。しかし、ヒノキ林にはあまり動物にとってのエサが多くありません。

 もう一つの原因は、山に人が入らなくなってしまったからかも知れません。かつては、材木を切ったり、落ち葉を集めたり、キノコ採りに入ったり、狩猟に入ったりと、多くの人たちが山を利用していました。それが今では山に入る人はほとんどいないというのが現状です。

 こちらの田んぼや畑は、電気柵で囲っています。イノシシ除けのためです。

 移住者である私も、地元の人に勧められて罠猟の免許を取得しました。柵で囲っても、隙間から入り込んでしまうのです。増えすぎているイノシシを、正常な量に戻さなければなりません。そして、そのイノシシがとても美味しいのです。

箱罠にかかったイノシシ











 昨日は「イノシシが罠にかかった」という連絡を受けてイノシシの止め刺しに参加しました。そしてその場で放血を済ませ、隣町の中野方町にある解体所へ運びました。「猪鹿とーる」というシャレた名前の、解体所兼ジビエ肉販売所です。解体のお手伝いをしながら、大将から注意点などを詳しく教えて頂きました。

 この止め刺しから解体までののことは「グロい」と感じる方もいると思うので詳しくは語りませんが、私はそんな風には感じません。人間は、植物も含めて他者の命を食して命をつないでいます。可愛そうとは思いますが、可愛そうなことは誰かにさせて、自分は美味しい部分だけを頂くというのは、私的には卑怯者な気がします。他人がどうこうではなくて、自分自身に対してそう思います。屠殺と肉を食べるという行為がセットだということは常に意識していたいと思います。
 こういうことも、都会にいた時には考えもしていなかったことでした。

 昨晩は、ぼたん鍋(みそ味)・レバーとハツのピリ辛佃煮を頂きました。今晩はイノシシの骨のスープでのラーメンとスペアリブ、レバーペーストをクラッカーに塗って頂きました。
 いつもよりも感謝して頂きました。そしてメチャメチャ美味しかったです。きっと良いエサを食べて自然な環境の中で健康に健康に育っているからなのでしょうね。

 参考までにイノシシの美味しさの秘密はというと、
時期:秋から冬が美味しいです。
エサ:特に秋冬は栗やどんぐりを食べています。養豚場で育った豚と違って良いエサを食べています。
栄養価:高たんぱく・低脂肪・低カロリーで、ビタミンB2が豊富で悪玉コレステロールを低下させます。
年齢:3歳くらいがもっとも美味しいそうです。
血抜き:止め刺し直後に血抜きをします。すぐやらないと肉が臭くなります。鮮度はとっても大事です。

 オスメスに美味しさの差はないそうですが、メスの方が柔らかいそうです。
 内臓は特に美味しいです。抗生物質などはやはり内臓に溜まるのではないでしょうか。イノシシのレバーペーストは超絶品でした。
 今年は何頭獲れるかな。獲れたら地元の人たちで宴会をやりたいな。

ボタン鍋

レバーとハツのピリ辛佃煮

イノシシの骨のスープでのラーメンとスペアリブ


たき火

山に住んでいると、枯れ木やじゃまな木を伐採する機会が多くあります。
風のない日にそれらを燃やすことは、仕事でもあるけれど、楽しみの一つでもあります。














今回は、ちょっと遊んでみました。ほら、たき火らしいたき火になりましたよ。
山積みになっていた伐採した木が2時間ほどで灰になりました。

何もすることなく、ただ火を眺めているだけですが、退屈もせず、ぼおーと時間が過ぎていきます。

都会の孫たちが遊びに来ると、木を貯めておいて燃やしてもらいます。
わが家に到着するや、「たき火してもいい?」って、それはそれは楽しいらしいです。

この地域では、山や田畑で出た木や草を自分の敷地内で燃やすことは許されています。
もちろん、ご近所迷惑にならないようにしなければいけません。

蘇原神社の秘密?


10月8日に恵那市笠置町毛呂窪の産土神、蘇原神社の秋祭りがありました。今回はお祭りの話ではなく、「蘇原神社の秘密?」についてです。

 蘇原神社の歴史は室町時代からと言われていますが、定かではありません。1612年江戸時代の初期に、すぐ前の丸山から現在の地に移されました。我が組は今年はお祭りの当番に当たっており、待ち時間があったので、その丸山に何か神社跡があるか見に行きました。結果は何もなかったのですが、面白い発見がありました。
丸山から蘇原神社を見ると、参道から神社の後ろ一直線上に、尖ったピラミッド状の山がそびえていました。普段は鎮守の森に隠れて気付かなかったのですが、この丸山に来ることで発見できたのです。どうやら元来、神社の後ろのとんがり山が原始の信仰の対象、いわゆる山宮で、山に登るのがしんどいので、下に里宮(現在の蘇原神社)を作ったのだと思われます。そしていつの日か山宮の存在は人々の記憶から失われてしまう、というパターンは全国の神社でよくあることのようです。
左下から右上に向かって参道→神社→鎮守の森→とんがり山





反対から、右下から参道→神社→とんがり山





















さてこの参道から尖がり山への一直線のラインですが、コンパスで測ってみると、また出た!120°・300°ライン!つまり冬至の日の出・夏至の日の入りの方向なのです。つまり現在の蘇原神社は、前方の円山から冬至の朝日が昇り、夏至に後方のとんがり山の先っぽに夕日が沈むという特別な場所だったのです。現在の蘇原神社の場所を決めたのは、ここが聖なる場所だったからなのです。
参道は一直線に冬至の日の出・夏至の日の入りライン。













冬至近辺の日の出。
丸山から二つの鳥居を通って参道を一直線に朝日が届きます。




このとんがり山は、毛呂窪の里の水源であり、あの山があるからこそ飲み水や農業用水が生まれるということを昔の人は知っていたのでしょう。その上あの形です。古来、人々はピラミッド型の山や石に対する信仰心のようなものがあったようです。それは火山の噴火や男性器のような生命の誕生を象徴する形だったのか?神を呼ぶ依り代のようなものであったのか?太陽や星の方角を知る天体観測器の役割であったのか?
笠置山全景。右のとんがりが雨乞い垂れ。その右下に蘇原神社がある。










この笠置山自体はこちら南側から見たら「寝弘法」と呼ばれてデコボコですが、北側から見ると見事なピラミッド型をしています。それが笠置山の名の由来なのです。山頂には笠置神社があり、そこから北へ120°・300°の方向に、中野方町の笠置神社下社があります。そちらも山宮・里宮の関係です。つまり、冬至の朝、笠置神社下社から山頂に「ダイヤモンド笠置」が見える方向なのです。ちなみにこの二つの笠置神社の間には、縄文時代に作られたと思われる大きな石のピラミッドが三つ並んでいます。

この笠置山の東南側と北西側の二つの神社に見られる方角は、単なる偶然とは思えません。季節の変わり目であり、一年中で最も日の長い日と最も日の短い日、最も高い太陽と最も低い太陽、「夏至と冬至」を太陽神を崇める日本人は、これほどまでに大切にしてきたのですね。
この発見を地元の人に話したら、「あのとんがりは『雨乞い垂れ』と呼ばれとるよ」とのことでした。ゾクッと身震いがしました。だいたい笠置山全体が雨乞いの山だとは聞いていましたけど、嶺の名前に「雨乞い」とそのまま付いているとは。あの山に雨が降って、それが森を潤し、川となって、或いは地下水となって田畑や人々の喉を潤す。場合によってはあのとんがり目がけて雷が落ちることもよくあったでしょう。笠置山は落雷の名所であり、夏は夕立がたびたび起こります。別の人は「あの山は秋葉様や」と言います。秋葉神社と言えば「火除けの神様」です。落雷による山火事を恐れてか、雨が降ることで火事を防ぐためか。近くには「天神ヶ根」という峰があり、その下には菅原神社があります。菅原道真・天神様。つまり落雷を恐れての神社でしょう
そんな雨・雷・太陽をつかさどるあのピラミッドこそが、毛呂窪地域の産土神なので。五穀豊穣の神様である蘇原神社の大本なので






笠置町毛呂窪地域から笠置山を見上げると、どんな方向からもあのとんがり山が眺められます。昔の人たちもこの山を見上げて畏怖の念を抱いて祈りを捧げていたのでしょうか?

あのとんがり山の頂上には何があるのでしょうか?後日改めて行ってみたくなりました。この山の中腹にある自宅から、車で数分のところにその場所はあります。「一望千金展望台」から少し登ったところに車を停め、10分ほど歩くと、とんがり山の頂に着きました
雨乞い垂れ山頂の祠「秋葉神社」と書いてある











そこにはやはり祠がありました。そう古くはないけど、しばらく忘れ去られている様子でした。周囲にはおびただしい数の巨石・奇石の数々がある、神々しい場所です。しかし人工による古代の磐座(イワクラ)かどうかは分かりませんでした。数が多すぎるし、この山はここ以外でもこんな巨石がゴロゴロしているのです
祠には「秋葉神社」という表記がありました。しかしその向きが残念でした。東の方向を向いているのです120°の方向、つまり蘇原神社の方向ではないのです。・・・予測と違う。ガッカリだ。
最後の最後で疑問がすっきりせず残念でした。「蘇原神社の秘密」はそう簡単には解けないみたいです。

さて、皆さんの氏神様はどちらを向いていますか?伊勢神宮?富士山の方を向いていますか?120°や300°を向いていませんか?後ろに山や大きな石を抱いていませんか?

ストーンサークルの跡?
山頂を囲む巨石の数々



















蘇原神社例大祭2017

毎年10月第1(もしくは2)日曜日に行われる秋の豊作を祝うお祭り、今年も秋空の下、楽しく行われました。
おかめ、ひょっとこのお面を被った踊り手が、子どもたちを脅していきます。
昔は、田んぼの中まで本気で追いかけて、脅かしたそうです。
笹踊りの入場に始まり、中学生男子による笠踊り、成人独身男性による剣の舞と続きます。
舞り手・笛太鼓の奏者が、夏からの練習の成果を披露してくれました。






















田んぼ終了!2017

疎らな田んぼながら、なんとか収穫が出来ました。
予想通り、昨年の半分の量でしたが、新米の味わいは格別でした。

9月10、11日稲刈り、はざ干し
























9月26日脱穀 ハーベスターという機械で、干した稲束から籾を取ります。













9月27日籾摺り 籾摺りをして玄米にします。








田舎生活とバランス感覚

田舎の人は、何でも自分で作ります。
お米や野菜はもちろん、季節ごとの様々な保存食、味噌・梅干し・漬け物・ジャム・干し芋・干し柿・・・昔はお酒まで・・・。
食べ物だけじゃなくて、道を作ったり、石垣を組んで田んぼを作ったり、ちょっとした納屋くらいなら自分で作るし、家の修理とかもやってしまいます。地元の方と接すると、その生活の知恵というか、生きる術をみんなが持っていて、すごいなって思います。
ほんの数十年前、この辺りでは、各戸に牛やヤギや鶏がいて、自給自足の生活が当たり前だったと聞きます。

自然と向き合いながら、自分の生活を自分の手で作り上げていく・・・。自然の恵みによって生かされていること、でも天候に左右されダメージを受けることもあること、頑張らなきゃいけないけど、頑張ってもどうしようもないこともあるってこと、そういうことがいつも実感としてそこにあって、多くのいのちを見つめながら、たんたんと生きている、朝起きて手を合わせてから、一日が始まる・・・。家族や地域や自然との繋がりを強く感じていたのではないかと想像できます。
そんな確固とした生活、生き方のなかで紡がれた里山の文化は、共生の文化であり、持続可能な生活の知恵がたくさんあります。
効率や経済を優先させてきたことが、多くの負を残していることを考えると、人の幸せとは何かを改めて考えさせられます。

田舎に暮らしてはや2年。何でもお金で処理できた生活から離れて、グルメだ、旅行だ、ブランドだ、そういうことへの関心は薄くなっています。
自分で作った米や味噌や、近所からの美味しい野菜や、美味しい空気や、綺麗な星空や、風や、水や、雷や、草刈りや、土木作業や、そんなことに意識を費やす毎日を心地よく感じています。
とはいえ、多くの情報が入って来る毎日で、インターネットも便利だし、SNSもやるし、テレビも見るし・・・・どこにいても、結局日々の取捨選択の中で、自分自身が試されています。自分にとっての丁度良いバランスってどこなんだろうと、悩みつつの田舎生活です。

秋の味覚「いくち」

きのこ狩りをしていた地元の方から、採ったばかりの「いくち」を分けていただきました。
本名は、いくち科「あみたけ」、この地方では「いくち」と呼ばれています。
表面がぬるっとしていて、味はなめこに似てます。









火を通すと紫に変化します。
今日はおろしポン酢でいただきました。










昔はもっとたくさんの種類のキノコが採れたそうです。もちろん、マツタケも・・・。
山の手入れがされなくなって、キノコも少なくなったそうです。残念です。

あとひと月で稲刈り

お盆を過ぎると、こちらでは朝晩が一気に涼しくなります。
昼間はまだまだ暑いですが、それまでのようなムシムシする感じがなくなっています。
そうなると、アキアカネが空を舞い、稲穂がこうべを垂れてきて、稲刈りの時期が近付いてきたことを知らせてくれます。
笠置町のお米が美味しいのは、笠置山の南斜面にあるため日当たりが良く、昼夜の寒暖の差が大きく、笠置山からの豊富な美しい水があるからです。
また、山に囲まれた棚田は平地の田んぼと違い、様々な動物や鳥や虫や微生物が生息しており、何か一つの害虫や病気が大発生することがありません。
生産性という意味では効率は良くないかもしれませんが、本当においしい米はこういう棚田で作られるのです。
都会から移住してきた私たちも、この地で田んぼを借りて米作りに挑戦してみましたが、本当においしいお米が穫れました。都会の親戚や友人に食べてもらいましたが、みな「こんなにおいしいお米は食べたことがない」と口を揃えて言います。
今年も9月中にはあちこちで稲刈りが行われ、新米が食卓に上がります。
秋はもうすぐそこまで来ています。

古民家と田んぼは良く似合う
美しい棚田の風景。天気が良いと恵那山が見えます。

夏の空と秋の空が入り交じっています。

雨乞いの山であった笠置山からの豊富な清流が田んぼを潤す。

山の整備・道作り

自治会の活動の中に、都会には無い活動の一つに「山の整備」や「道作り」があります。
檜林の下草刈りや、林道まわりの枝払い、U字溝の清掃などを行います。
ほとんどの人が肩掛け式草刈り機を持っていて、自分たちで草刈りをします。
男性でチェンソーを持っている人も結構いて、林業の人みたいに木を倒したりもできます。
今回は松枯れ病にかかった赤松を20本ほど、自治会の皆さんと倒しました。
枯れ松は風雨の強い日などに道路に倒れて危ないので、倒れる前に倒してしまいます。

ド迫力の映像をお楽しみください。

毛呂窪サマーカーニバル2017

今年もやってきました、毛呂窪サマーカーニバル!
毎年お盆の土曜日に開催される、笠置町毛呂窪区、年間最大のイベントです。
今年は、カーニバル直前のゲリラ豪雨によって足元が悪いにもかかわらず、たくさんの町民が集まりました。
最後の打ち上げ花火、今年はすごかった!!
小さな町の意地を見せられたような気がしました。