田舎生活とバランス感覚

田舎の人は、何でも自分で作ります。
お米や野菜はもちろん、季節ごとの様々な保存食、味噌・梅干し・漬け物・ジャム・干し芋・干し柿・・・昔はお酒まで・・・。
食べ物だけじゃなくて、道を作ったり、石垣を組んで田んぼを作ったり、ちょっとした納屋くらいなら自分で作るし、家の修理とかもやってしまいます。地元の方と接すると、その生活の知恵というか、生きる術をみんなが持っていて、すごいなって思います。
ほんの数十年前、この辺りでは、各戸に牛やヤギや鶏がいて、自給自足の生活が当たり前だったと聞きます。

自然と向き合いながら、自分の生活を自分の手で作り上げていく・・・。自然の恵みによって生かされていること、でも天候に左右されダメージを受けることもあること、頑張らなきゃいけないけど、頑張ってもどうしようもないこともあるってこと、そういうことがいつも実感としてそこにあって、多くのいのちを見つめながら、たんたんと生きている、朝起きて手を合わせてから、一日が始まる・・・。家族や地域や自然との繋がりを強く感じていたのではないかと想像できます。
そんな確固とした生活、生き方のなかで紡がれた里山の文化は、共生の文化であり、持続可能な生活の知恵がたくさんあります。
効率や経済を優先させてきたことが、多くの負を残していることを考えると、人の幸せとは何かを改めて考えさせられます。

田舎に暮らしてはや2年。何でもお金で処理できた生活から離れて、グルメだ、旅行だ、ブランドだ、そういうことへの関心は薄くなっています。
自分で作った米や味噌や、近所からの美味しい野菜や、美味しい空気や、綺麗な星空や、風や、水や、雷や、草刈りや、土木作業や、そんなことに意識を費やす毎日を心地よく感じています。
とはいえ、多くの情報が入って来る毎日で、インターネットも便利だし、SNSもやるし、テレビも見るし・・・・どこにいても、結局日々の取捨選択の中で、自分自身が試されています。自分にとっての丁度良いバランスってどこなんだろうと、悩みつつの田舎生活です。

秋の味覚「いくち」

きのこ狩りをしていた地元の方から、採ったばかりの「いくち」を分けていただきました。
本名は、いくち科「あみたけ」、この地方では「いくち」と呼ばれています。
表面がぬるっとしていて、味はなめこに似てます。









火を通すと紫に変化します。
今日はおろしポン酢でいただきました。










昔はもっとたくさんの種類のキノコが採れたそうです。もちろん、マツタケも・・・。
山の手入れがされなくなって、キノコも少なくなったそうです。残念です。

あとひと月で稲刈り

お盆を過ぎると、こちらでは朝晩が一気に涼しくなります。
昼間はまだまだ暑いですが、それまでのようなムシムシする感じがなくなっています。
そうなると、アキアカネが空を舞い、稲穂がこうべを垂れてきて、稲刈りの時期が近付いてきたことを知らせてくれます。
笠置町のお米が美味しいのは、笠置山の南斜面にあるため日当たりが良く、昼夜の寒暖の差が大きく、笠置山からの豊富な美しい水があるからです。
また、山に囲まれた棚田は平地の田んぼと違い、様々な動物や鳥や虫や微生物が生息しており、何か一つの害虫や病気が大発生することがありません。
生産性という意味では効率は良くないかもしれませんが、本当においしい米はこういう棚田で作られるのです。
都会から移住してきた私たちも、この地で田んぼを借りて米作りに挑戦してみましたが、本当においしいお米が穫れました。都会の親戚や友人に食べてもらいましたが、みな「こんなにおいしいお米は食べたことがない」と口を揃えて言います。
今年も9月中にはあちこちで稲刈りが行われ、新米が食卓に上がります。
秋はもうすぐそこまで来ています。

古民家と田んぼは良く似合う
美しい棚田の風景。天気が良いと恵那山が見えます。

夏の空と秋の空が入り交じっています。

雨乞いの山であった笠置山からの豊富な清流が田んぼを潤す。

山の整備・道作り

自治会の活動の中に、都会には無い活動の一つに「山の整備」や「道作り」があります。
檜林の下草刈りや、林道まわりの枝払い、U字溝の清掃などを行います。
ほとんどの人が肩掛け式草刈り機を持っていて、自分たちで草刈りをします。
男性でチェンソーを持っている人も結構いて、林業の人みたいに木を倒したりもできます。
今回は松枯れ病にかかった赤松を20本ほど、自治会の皆さんと倒しました。
枯れ松は風雨の強い日などに道路に倒れて危ないので、倒れる前に倒してしまいます。

ド迫力の映像をお楽しみください。

毛呂窪サマーカーニバル2017

今年もやってきました、毛呂窪サマーカーニバル!
毎年お盆の土曜日に開催される、笠置町毛呂窪区、年間最大のイベントです。
今年は、カーニバル直前のゲリラ豪雨によって足元が悪いにもかかわらず、たくさんの町民が集まりました。
最後の打ち上げ花火、今年はすごかった!!
小さな町の意地を見せられたような気がしました。









ハンモック作ったよ。

小さいころからあこがれていたハンモックのある生活・・・。
ふと思い立ち、ハンモックを作ろうと・・・。
丁度、夏休みに孫たちが大勢訪れるから、きっとみんな喜んでくれるはずです。
やっぱり、山で生活してるんだから手作りじゃないとね、ということで、
ハンモックスタンドは、ネットで調べて手作りしました。
意外と簡単、強度もばっちり、持ち運びも出来そうです。
少し低めになってしまったけど、ゆらゆら気持ちいい。
本番はもう少し高くして楽しもう!!


田舎は付き合いが面倒!?

よく田舎の人間関係が面倒だという話が出ますが、決してそんなことはないと強調したい。今、結構田舎の居心地はいいです。濃すぎず、薄すぎず、ちょうどいいと感じます。

確かに田舎のコミュニティは都会に比べて濃いですし、口コミで情報(うわさ)がすぐに伝わってたり、車で誰が通ったか分かっちゃたりします。はじめはそれにびっくりしましたが、それは監視してるわけでも、悪気があるわけでもなく、「町ぐるみ家族」みたな気持ちということだと思うのです。家族の誰かが何してるか、なんとなく把握してる感じでしょうか?具合が悪ければ、心配する感じでしょうか。それは、安心感にも繋がっている気がします。

人間は森から出て、草原で暮らすようになった時、外敵から子どもを守るためにコミュニティで子どもの面倒を見るようになったのだ聞きました。
人間が進化の過程で獲得したのが、家族、コミュニティの繋がりの濃さなのだとすると、それを「面倒だ」と一言で片づけてしまうのはもったいない・・・。

ゴリラの研究で有名な山極寿一さんは、現代の子育てが母(核家族)に集中し過ぎていて、それが虐待やいじめなどに影響しているのではないかと、指摘されていました。私が都内で子育てしていたころのことを思うと、まったくその通りだったと思います。周りに知り合いも少ない都会で、年子の二人の育児を担っていくのは精神的にとても辛かった・・・。その後、神奈川へ引越して、周りに畑や牛小屋があるような田舎で、隣近所の方のおせっかいが本当に嬉しかったことを思い出します。

かつての閉塞した田舎では、息苦しさを感じることもあったとでしょうが、現代の開かれた田舎は、ちょうどいい距離感で繋がっていると感じています。

20年前に移住してきた方の話を聞いたときに、「周りとの軋轢があったとしても、譲れるもの、譲れないもの、自分の中できちんと線引きをしながらやるしかないんだ」とおっしゃっていました。そういう方が居てくれて、今の居心地の良さを築いて来てくれたと思うと、丁度良くしていくのは、自分の責任でもあるんだんなあと改めて思った次第です。